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小説の自由 単行本 – 2005/6/29

4.1 5つ星のうち4.1 22個の評価

小説は読後にテーマや意味を考えるものではない。小説はそのような固定した〈名詞〉でなく、読むたびに読者に向かって新しい世界観や人間や「私」についての問いを作りだす、終わることのない〈動詞〉の集積なのだ。誰よりも小説を愛している小説家が、自作を書くのと同じ注意力で、実際の作品を精密に読んでみせる、驚くべき小説論。
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商品の説明

出版社からのコメント

ベストセラー『小説を書きあぐねている人のための小説入門』の著者による必読の小説論です。

抜粋

まえがき
 私にとって小説とは「読む」もの「書く」ものであると同時に「考える」ものだ。
私は読んだり書いたりする以上に、小説について考えることに時間を使っている。
「考える」というのは、評論したり批評したりすることではない。もっとずっと漠然
としていて抽象的で、しかし時によってはものすごく細かくて厳密で、そういうこと
がつまりこの本全体を通じて書かれているから読んでもらえばわかるけれど、「読む
前に少しだけでも教えてくれ」というせっかちな人のために強いて言うなら、サッ
カー少年が一日中ボールを蹴っているようなもの、ということだろうか。
 ボールを蹴りながら彼はボールを自在に操れるようになるための練習をしているだ
けではなくて、自分の動きを憧れの選手のボールさばきに重ねてみたり、自分が試合
に出たときのドリブルやシュートをイメージしたりしているのだ。試合の流れやサッ
カーという競技に対するイメージや美学がなければいい選手になれないのと同じよう
に、書く技術だけでなく小説という表現形態や人間や世界に対するイメージや思考の
積み重ねがなければ小説は書けない。
 日常や新聞・ワイドショーのレベルで考えられている人間や世界のイメージと別の
イメージを作り出すことが小説の真骨頂であると私は考えるから、「読む」「書く」
だけでなく「考える」という抽象的な時間を多く持つ必要がある。
 そういう時間を積み重ねていくと、小説というものがテーマとか意味という限定さ
れた読まれ方をするものでなく、もっとずっと動的で多層的なものだということが感
じられてくるだろう。テーマや意味は“名詞的”な固定したものだが、小説はそんな
ものをこえた終わることのない動詞の集積なのだ。

 文中に「先月」とか「先々月」という言葉が出てくるが、それはこの本が「新潮」
で現在も継続中の「小説をめぐって」という連載の最初の十三回分をまとめたものだ
からなのだが、本として単独に読めるように書いてある。というか、「新潮」誌上の
連載自体が基本的には、その号だけを手に取って偶然に読んだ人にもわかるように心
掛けているので、この本もどこから読んでもらってもかまわない。
 もっとも、読者自身に、小説について真摯に考えようという気持ちがまったくなけ
れば、最初から通読してみても理解できない、ということはあらためて言うことでは
ないが、小説とは何か? 小説とはどうしてこういう形態なのか? なぜ人は小説を
必要とするのか? ということを真剣に考えている人に向かっては、私は私に書ける
かぎりの力を振り絞って、毎月真っ正面から応えるつもりで書いてきたし、今もそれ
をつづけている。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2005/6/29)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/6/29
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 360ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4103982055
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4103982050
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 22個の評価

著者について

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保坂 和志
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1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
22グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2005年出版で2010年文庫化された作品らしいな、俺も最近知った、いやほんとはもう少し前に知ってる、なぜなら単行本も読んだからだ。タイトルがぼんやりしてて内容が想像しにくいですが、要するに保坂氏が小説についていろんな方向から考えてみるという内容で、もちろん読者は小説家志望でなくても良い内容で、いや俺は志望してるんだけどさ、昨日も芥川賞のアレなんていうんだっけ、忘れちゃった、あのウェブサイトよ、まあそれはいいとして色んな本だったり哲学的な考え方だったりみたいなものが文字を通して流れてくるんだって、とか彼女も言ってたけど、ちょーあいまいな説明だよな、もっとガツンといえよ。めちゃくちゃ面白いとかさ。どれくらい面白いかというとあのプレーンソングより面白いなんてことはあったりなかったりで、まあそれはいいとして、本人がどこから読んでも良いよって冒頭に書いてるので、あえておすすめ箇所を申しますと最後の12章と13章です。ページ数的にも400ページのうち100ページがここに割かれてるので保坂的にも本気度が高そうと見ました、いや勝手にみるなよ。

「完全なものは不完全なものである」という文章を読んでると液状化が起こる、という部分は自分も試したくなるし、13章のアウグスティヌスについて書かれた箇所(ここはすごい)は、引用箇所がかなり多いので、もうアウグスティヌスの本そのものを読んでるような気分になって、もっとアウグステヌスをよみたくなりました。この2章は何回読んでも面白い。マジか?いやよく考えるとくだらない。俺の中の悪魔がささやきランボー的な地獄が見える。小林よ・・・聞け・・・・けど読みやすいのはそれ以外の章だったりするので、時間があるなら普通に最初から読むのも良い。そして、そろそろ(2011年8月?)次作の「小説の誕生」が文庫化される模様で、僕はまだ読んでないので楽しみです。この人の文章を読んでると、書いてる内容だけでなく全然関係ない、へんなところまで考えが伸びていく感じと言うかそういうのを感じて楽しいですってのは嘘に近いほんとだ、なぜならくだらねえ感想しか出ないのが俺だから、関係ないけどまた新しい小説も書いてほしいところです。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年5月11日に日本でレビュー済み
小説というものに関心がある人にとって、刺激的な内容だと思う。小説という既成の概念の中で、あれこれ意味を与えて豊かな小説にしようとする(現在のほとんどの小説はそうとのこと)行為を筆者は評価しない。小説そのものを考えること、小説の新たな可能性を追求することが、人生を考えることであり、この世を考えることそのものと繋がっている。だから筆者が哲学や宗教を小説を考える際に持ち出すことは必然なことなのだろう。

ただ、この文章は、筆者が考えを整理して伝えようとしたものではない。筆者も言い訳か、あるいは真に意図しているのか、「読みやすい文章は筆者の考えをただなぞって考えたつもりになってしまう、真に考えるためには悪文が必要」(※保坂氏の言葉そのものではないので念のため)と言う。確かに、文章のクセに収まらない明白な悪文もところどころに存在し、私も筆者の真意を測るために何度読み返したかわからず、それが唯一この書の評価を下げざるを得ないと思われるところなのだが、筆者があえてそれが必要というのもまた理解できなくもなく、それはそれでいいのかもしれないと思い直しているところ。読者にはとっても不親切だけれども、整理して伝わりやすくしたときにはすでに失われてしまっているものが多く、筆者はそれをこそ読者と共有したいと思っているので、その不親切さにもかかわらず読み進め、一緒に考えてくれる読者に向けて書いているのであろう。

文章も、構成も、まったく練られてはおらず、いわば思いつきのまま書き連ねてはいるのだが、それがまた返ってこの小説家の生(き)の思考の生まれる現場を体験するようでいて、逆に新鮮なのかもしれない。でも、ここまで文章や全体の構成に気を使わないで書いたものが商品となるのはうらやましいと思ったりも。(もともとは月刊の文芸誌に連載しているものをまとめたものだから、全体の構成というのは限界があるのだが、それにしてもまとまりはない。。)

読みにくさを覚悟の上であれば、小説及び人生とこの世界に興味を持つものにとってはこの上なく面白い本です。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、自分の読んでいた、読み続けていた本に対する誤読を開陳させられ、苦しい気持ちになる時があります。テーマや物語の社会性や新しい文体でデビューした変な新人、などに狂わされた文学界からは、ほど遠い地平で思考している。それは、大変孤独な作業だとおもいますので保坂さんはちゃんとした人(作家)だと思う。カフカの引用はとても明解で、あの文章の強度をちゃんと見つめている作家はあまりいないと思う。文章の内面から滲み出てくる強度という点ではカフカの引用によって照らし出された最後の部分は恐ろしいくらいのリアリティを越えた現実として、この本の一部を強くものがたっている。
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年6月20日に日本でレビュー済み
保坂さんはアマゾンのブックレビューなんか書くヤツ嫌いみたいだけど、
ただいま読み終わって、書かずにはいられない。

だいぶ年を取ってしまって、毎日、毎日、生きていることが切羽詰まった
苦しさを持つこのごろなのだが、『小説の自由』を読んでいる間、
生きてることがうれしくて、まだまだ生きられる、まだまだ生きようってもんが
あるぞと心底感じられて涙が出そうだった。

いままで身につけてしまったどうでもいいあれやこれやを
<保坂>が削ぎ落としてくれるというか、
自分が長い時間かけて背負い込んでしまった常識やら
思考パターンの不自由度を見せつけられてやれやれとは思うが、
「なんてこった」、「いままで損した」とは思わない。

それにしても、
いったい<保坂>はどうやってつくられたのかな。
うれしい、<保坂>がいて、<保坂>を見つけられて!
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
凡庸で制度補完的な物語をたれながす作り手、それをただ無反省に
頭を使わず(いや物語さえ直視せずにか)消費するだけの読者、小
説とはそういうものでなく・・・みたいなよくある純粋芸術論の香
りで彩られた一冊。著者の小説は一見とるにたらない題材について
物語らしい起伏らしい起伏もなく、文章そのものを削り出すことに
傾倒するようなものが多いですが、なるほどな~、そういう意識で
書いているのかと納得できた。
そういう領域が小説にあってもそれは別にかまわないし、そういう
ことにしか書くことの意味を見いだせない孤高さというのも否定し
はしない。でもこういう感じそのものは、映像の洪水のなかで育っ
た世代が、アニメのディティールやマニアックなぬるぬる動く感に
鋭敏であることと何らかわらない。小説だからなんかブンガクのよ
うな高級感(?)をまといがちだが、小説に日常の彩り程度の役割
しか求めていない多くの読者にとっては、本書で開陳されているよ
うな小説感は、コアなアニヲタをみるとさほどかわらない独自の愛
の世界があるのを追認するだけではなかろうか。
勿論高度な一芸としてこれを踏まえた文章にたまにはふれる機会が
あるのはうれしいが、こうした小説感に毒されて実力もないのにエ
ンタメにも昔ながらのブンガクにもなれず中途半端にペダンチック
なものを書き散らしているような作り手がもしいるなら、最高に紙
資源の無駄使いだと思うのですぐさま筆をおいてほしい。
ただでさえ、出版業界は供給過剰だというのに。

本書はいまいちだったけど、著者の小説は好きです。疲れたときに
通勤電車で読むと、何気にほっとしますから。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年6月21日に日本でレビュー済み
やっぱり保坂和志はいいなぁ(作家として、だから敬称なし)。何を読んでも癒される。しかも「○いだ▼つを」的に誰でも知っていることを再確認するだけの愚民化的癒しではなく(普通は癒しとはこの意味で使われているようです)、本人は否定するかもしれませんが、賢民化的癒し。「そのままでよい」というのではなく、「変わり続けてよい」という。すばらしい人だ。かつて近代の初めにいたような理想主義的な啓蒙家ではなく、現代における啓蒙家です。

小説とは何かを考えつつ、反物語、反因果関係、反主体の明確な姿勢が気持ちよすぎます。引用される古今のテクストの解釈も独特でおもしろい。志賀直哉の系譜と三島由紀夫の系譜の比較とか最高。少々迂遠なところもありますが「誰もが夏目漱石を知っているという前提はすでに通用しない」というところから始めているのですから当然です。ラストにある怒涛のアウグスティヌスからの引用ははっきりいって我田引水ではないかとも思いますが、おもしろいからよい。

面白い小説を書くだけではなく、きちんと物を考えていてその道筋を書いてくれる、こんな人が同時代にいてよかった。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年8月23日に日本でレビュー済み
 保坂和志の小説に対するスタンスがいっぱい聞ける一冊。

 斉藤美奈子曰く、「おまえら読めてないよ」という本。批評家は物語のメタファやら意味性をつきつめて、さらに細部を分解するように読むけれど、それは全然違うんだよ、と。

 これは難しい問題で、はたして、そういう読み方があっているのかどうか、私たち自身で考えなくていけない。たとえば、芥川賞って作家が選んでいるけれど、ずいぶんとんちんかんな作品ばかり選んでいる気がするし。

 ただ、自分は保坂和志の考え方を否定しない。だって、いわゆる、きちんとした純文学作家はけっこうこういうスタンス(どこまでそれに自覚的かは、かなり違うと思うけれど)で作品をかいていると思う。

 たとえば、村上春樹だって、「海辺のカフカ」の話の意味は自分でもわからないって言ってましたし。ま、保坂さん、村上春樹嫌ってそうだけど。

 つまり、小説はほとんどまともに読まれていないんです。一般読者だって、そう。批評家だってそう。大部分の作家だってそう。書かれたものとは全然違うとらえかたをされて、それが発展し、多くの作家が埋もれているかもしれないのは、少し悲しい。

 青木淳悟なんて、地元の図書館にない。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年9月1日に日本でレビュー済み
・・うーん、難しい。
小説とは何か、小説をどう読むべきか、
というようなことが書いてあるみたいでした。
「みたい」となってしまうのは、文章がむずかしくて
よくわからなかったからです。
保阪さんによれば、一気に読める小説は、そもそも小説としてNGだそうです。
また、一気に読めない(読みづらい文章の)小説の
テーマ(や、意味・言いたいこと)を探したりして、批評するのもNGだそうです。
字面としては読めたのですが、保阪さんの言っていることが全然わかりませんでした。
すみません、私は著者の想定していた読者ではなかったようです。
33人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート